栖足寺、またの名を河童の寺。
700年の歴史を持つ古刹。
元応元年1319年(鎌倉時代)、下総総倉の城主千葉勝正の第三子である徳瓊覚照禅師により開山した禅寺である。
徳瓊覚照禅師は八歳にして得度し、康元元年、二十歳にして大本山建長寺にて建長寺開山、大覚禅師(蘭渓道隆)の室に十一番目の直系弟子として九年間参じ、文永六年、支那に渡り元代の禅将として有名な経山の石窓、及び天目山の中菴等、諸老師に暦参し宗旨を領じた。文永十年、帰朝し肥前平戸郷の小味寺、鎌倉の禅興、壽福の両刹を董す。元応元年、北条時宗の旗士、北条政儀が応長元年、真言を奉ずる為、河津村に建立した政則寺に政儀の屈請により開祖として迎えられ禅寺、栖足寺とした。
因みに、栖足寺の「栖足」は百丈禅師の「幽栖常ニ足ルコトヲ知ル」の句より栖足の二文字をとったもの推測され、河北省鎮州の栖足院、山東省楊州の栖足庵も皆なこの句より寺号を附せり。
天正、安政の火災により詳しい記述は消失している。現在の本堂は明治十九年観州和尚により再建された。